ブリストルからロンドン近郊へ引っ越しました。

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すみません。おもいきり個人宛の連絡なのですが、ここ以外に連絡方法が無いのでちょっと失礼。

momoさま
先日はコメントいただきありがとうございました。
コメント、しっかりと読ませていただきました・・・が、承認をしブログに反映をさせる時に間違えて「削除」ボタンを押してしまったのです!!!
せっかくいただいたコメントを消してしまいました。本当に申し訳ございません。
momoさん宛てのお返事はコメント欄にアップしたのですが、そこにmomoさん宛てのコメントがあることは探し出しにくいかも・・・ということで、このような大胆な手段を使わせていただきました。

コメントの件、大変失礼いたしました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

おゆり
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2008.09.25 / Top↑
10日間の自宅でのんびり?&病院めぐりがおわり、今度はお父さんとルーニー、私の3人で岐阜県は白川郷-荘川-高山をめぐる小旅行へ。

本当はおばあちゃんにもお母さんにも一緒に来てもらいたかったのだけど、月初めはいつも仕事が忙しいお母さん。休めるはずも無く・・・お父さん、その辺ちゃんと調べてから予約してよね。うちのかあちゃん、ばあちゃん、相当怒ってました。まぁ、毎度のことです。次回は家族みんなで旅行にいけますように!


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さて、愛知県の実家を出発し、岐阜県へ。
岐阜県に近づいてくると山が見えてくる。ものすごく遠くに来た気分になる。実家周辺には山が無く、姿も見えないので、山がある風景というのは非日常なのだ。

川沿いをドライブしながら、まず到着したのは大滝鍾乳洞。ここにきたのは、たぶん20年以上前のこと。確か小学校3年生だったと思う。鍾乳洞の入り口に立つと、一気に冷たい空気を肌で感じた記憶が今も鮮明に残っている。この時ももちろんカーディガン持参。

イギリスにも鍾乳洞というか洞窟はあるのだけど、ルーニーにとっては本格的なこれほど大きい鍾乳洞は初めて。もう、子供。「涼しい~っ♪」「わー、きれい!!!」とはしゃいでいる。うんうん、日本の観光地を存分に堪能してちょうだい。


急な流れの川に、背後に聳え立つ山々。ブリストル周辺では見られない光景。この風景を見逃したくない、とずっと窓の外に目をやっていたルーニー。イングランド内は山といえるような山がほとんど無く、あっても日本人にとっては「丘」程度のもの。谷間を縫って流れる川や視界をさえぎるような大きな山はほとんど無いんです。ルーニー曰く「スコットランドに似てる」そう。スコットランドは、イギリスの北部に位置する・・・国・・・?私は行ったことがないので比較の仕様が無いのだけど、ルーニーは大好きで何度も足を運んでトレッキングを楽しんでいる。どうもその時のことが思い出される様子。


その後さらに車を走らせ、白川郷へ
白川郷2

白川郷

うわーー、圧巻!!!
日本独自の、この地域独特のこの風景。ほかに類の無い風景に、ただただ感動。そして田んぼのミドリとの調和がなんとも美しいこと。ルーニーは上の写真を自分の新しいノートパソコンの壁紙にしたほど。「住みたい」とまで言い出した。このうちの一軒にお邪魔し、家の構造などの説明を聞く。とても興味深い。家の中ではNHKスペシャルの白川郷特集の時のビデオが放送されていて、時間があったら全部見たかったなぁ。

いやー、こんなに山深いところなのに、この時の気温34度。さすが岐阜県!
でも近くを流れていた川の水は、足が凍るんじゃないかと思うほど冷たかったです。

父曰く、私は一度来たことがあるらしいのですが・・・記憶なし。新鮮な気持ちで?白川郷を楽しませていただきました。


その後、おとんの会社の保養所がある荘川村へ。
とにかくのんびり、ゴロゴロ。夕食もおいしくいただき、ひたすらゴロゴロ。おとんは食事後、夜8時ごろには就寝。ルーニーも9時には就寝。おとうちゃん、運転、アリガトウ!


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翌朝、保養所を出るときに管理人さんに「(外国で)いろいろ大変だろうけど、がんばってね」と声をかけられ、不意に涙が出そうになった。この管理人さん、おとうちゃんの会社の先輩に当たる人らしい。なんだかものすごく感動してしまった。深々と頭を下げ「ありがとうございます」と挨拶し、いざ高山へ。


高山へきた記憶はあります。それも20年前なのかなぁ。いつごろかは覚えてないんだけど、あの町並みはしっかり覚えている。
高山 高山

ここは外国人の観光客がものすごく多かった。当初の予想としては、白川郷のほうが世界遺産にも登録されているし多いんじゃないかと思っていたのだけど。地理的なものかも。白川郷に来るには観光バスとか利用しなくちゃ来れないし、時間帯もあったのかも。


高山市内を観光していた時に入った喫茶店で、ルーニーが「カメラを貸して」と突然あるものを撮影。それは・・・ 
囲炉裏 囲炉裏です。

なぜか囲炉裏に執着のあるルーニー。自分の家に囲炉裏を作るのが彼の夢。どうもこの囲炉裏は彼の理想の型らしいのです。今って、テーブルの上に囲炉裏(らしきもの)があるようなデザインのものとかありますよね。「自分の家に囲炉裏を作るなら、テーブルの上に作った方が便利なんじゃない?ご飯とか食べやすいし」と提案してみましたが、

「ちがうよ。下(床や畳)に囲炉裏があって、その横でゴロゴロするのがいいでしょ。」

極上の「ゴロゴロ」時間をいつも追及しているこの人。すでにものすごく明確な、「囲炉裏のある生活」像をお持ちのようでした。


そしてここ高山で、ルーニー氏、ものすごく偶然?必然?の再会???を果たします。その前にまずこちらをご覧ください。今年1月に、おゆりの弟ひろが遊びに来た時にロンドンにある大英博物館にいったんです。その時にルーニーが唯一写した写真がこれ。
手長足長 大英博物館

ぶれちゃっててわかりづらいと思いますが、これ・・・手長足長です。てながあしながと読みます。日本の妖怪です。ものすっごく足の長いおっさんの上に、ものすっごく腕の長いおっさんが乗っています。2人で1セットです。私は高校の時に同級生が持っていた水木しげるの『妖怪大図鑑』を読んだから、知っていたんです(どんな女子高生だよ)。手長足長。 それにしても、なぜこれが大英博物館に? まぁ、確かに大英博物館の日本セクションは、なんかまとまりの無い謎な展示物が多かったのですがね。そして何よりの疑問は、なぜルーニーはこれの写真を撮ったのか? ほかの展示物には全く興味を示さなかったのに、なぜかこれだけ写真撮ってたんです。


そしてルーニーが高山で“再会”した方々がこちら・・・
手長 足長

!!!!! なぜここに!?
確かに妖怪大図鑑は読んだけど、どこに生息しているのか、どんな特性があるのかまではさすがのあたくしも覚えておりません。もしかして、彼らの生息地は高山なの?でもだからって、何で橋の上に? なんかあたくしたち、「手長足長」に呼ばれたんじゃないかという気持ちでいっぱいでした。


そんなこんなで大充実の小旅行in岐阜。しっかり高山ラーメンもいただいてまいりましたとも。帰宅後は、今度は「東京編」でございます。



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もしかしたら皆さん、うすうすお気づきかとは思いますが・・・ええ、そうなんです。

うちのルーニーさん、若干「変わったところ」があるんです。ルーニーさんの不思議については、今後少しずつ「家族・旦那」の項で触れていきたいと思います。うしし。



『日本滞在記 2008』の今までの記事はこちら↓
日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編
日本滞在記③ 関西遠征 前編 
日本滞在記④ 関西遠征 中編  (Tちゃん宅-清水寺-祇園祭)
日本滞在記⑤ 関西遠征 後編  (京都ドライブ)
日本滞在記⑥ 自宅編



2008.09.24 / Top↑
日本滞在中に乳がん検診に行った時のこと。

乳がん検診といえば、マンモグラフィー
女性なら、とくに30代以上の方なら、「ああ、あれね」とピンと来る方も多いのでは?


マンモグラフィーとは乳がん検診に用いられるレントゲンのこと。胸を板で挟みできるだけ平らな状態にして、放射線を溜め込まないように、さらに乳房内が明確に写真に写るようにするための特殊なもの。


朝一で行ったわよ、病院。マンモグラフィーに血液検査。このマンモグラフィーって何度やってもだめ。もともと痛みに人一倍弱いあたくし。拷問でしかない。なにせあたくし、初めてマンモを経験した忘れもしない2006年2月。あまりの痛みに本当に倒れそうになりましたもの。体に、特に首あたりに力が入りすぎて、どうも血流を止めていたらしい・・・なんて器用な! いやいや。で、マンモ終わったとたんめまいがして、立っていられなくなったもの。さすがにそこまでなる人は珍しいらしく、検査師の人が「え?あの、大丈夫ですか???」と動揺。

さすがにね、もう3回目かしら、マンモ。事前の心構えっちゅうのができるようになって、倒れることは無くなったけど、やっぱり苦手よね。でね、今回気づいたことがあるの。ただでさえ乳をはさまれるんだから痛いに決まってるじゃない?その痛みに耐えるだけでも十分大変なんだけど、マンモの敵はそれだけではなかったのよ。日常生活の中で、不快に感じる音って人それぞれあると思うんだけど、マンモの機械が発する「ピーっ」という音、たぶんレントゲンが取れた時の合図なんだけど、これが神経を掻き毟られるくらい不快なの、あたくしにとっては!!!しかも、マンモのときはその機械に密着してるじゃない?だからその不快な「ピーっ」が見事に耳元から発せられるのね。さらに言うと、この音、無駄にでかいのよ!!!

あたくし、この時悟ったわ。私が毎回マンモで感じる不快感や倒れそうになる恐怖感(っちゅうか、本当にめまいを起こす)は、決して痛みだけが原因でなく、この「ピーっ」に因るところが大きいって。

そういえば、あたし、そもそも「機械音」が苦手なのよ。具体的に例を挙げると、自動販売機の無駄なBGM?とか「アリガトウゴザイマシタ」っていう抑揚の無い女の人らしき声とか。機械が自体が発する「ガチャガチャ」というのではなくて、警笛とかそんな音。たぶん「不安感」を余計にあおられるのね。マンモの「ピーっ」は警笛の意味では使っていないんだけど、何でこんなにとげとげしい音を使うのよ!っていうくらい耳に残るの。脳みそに突き刺さるような。平気な人は平気なんだろうけど。


あ、そういえば、昔カフェで働いていた時、オーナーが買ってきた安っい電気調理器って言うの?火を使わないやつ?あれもかすかに、本当にかすかに「ピーーーーーー」って聞こえるの。その音がイライラさせるわけよ。しかもその時のキッチンの窓ははめ殺しで、空気の流れの無いところで「ピーーーー」・・・あれ、これってマンモと同じ環境じゃん。

でもね、この調理器の「ピーーーーー」は、全員に聞こえるわけではなくて、8人のスタッフの中で私を含めて2人にしか聞こえなかったの。私以外のもう一人は、オーケストラに所属しているバイオリニストで音に敏感な人。この人も「この音、イライラする」と言っていたけど、ほかの人にはさっぱりだったみたい。


現在の乳がん検診では、マンモグラフィーは当たり前。痛みは伴うけど、たぶん今の段階ではこれが一番の方法なんだと思う。そのうちもっと楽に検診できるものに登場してもらいたいけど。でも、この音は何とかなりそうじゃない?まぁ、どれだけの人が私のように感じているかどうかはわからないし、きっと確実に少数派なんだろうけど、機械は同じでも音は変更できるじゃん。たぶん。これ、私の切実なお願い。この機械を作っている会社の方、この音の変更を本気で考えてください。よろしくお願いいたします。
2008.09.24 / Top↑
ルーニーはシェフィールド。仕事は来週から。さぁ、今のうちに「日本滞在記」を書き終えなくては!・・・気づいたらもうシリーズ⑥まで来てるのですね。あー、だらだらと長ーくなってしまっているわ。読んでる人にはこれっぽっちも面白くないでしょうが、私の覚書として残しておくことにします。

いやー、しかし日本からイギリスに帰って1ヵ月。日本での出来事はすでに2ヶ月近く経過していて、記憶曖昧。仕方ないか、時間無かったもんな。


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長い関西遠征から愛知県へ戻り、約10日間は両親宅で過ごしました。この10日間がこの滞在中の「のんびりポイント」だと私は睨んでいたのだけど、のんびりどころか相変わらずバタバタ。

まずは乳がん検診。これ、予約取るのが結構大変で、イギリス引越し前に受けた時は1ヵ月半待ちだったのね。だから日本に帰る前に家のお母さんに事前に予約をとっておいてもらってたの。朝一で行ったわよ、病院。ここで乳がん検診といえば・・・そうあれ。マンモグラフィーが登場するわけよ。マンモについてもいろいろ書きたいんだけど、長くなるから別の項で書くわ。

結局乳がん検診はその日では終わらず、翌週も行かなければならず計2日間。結果は「異常なし」 まぁ、時間はかかったけど結果オーライです。


それから、歯医者ね。もうね、とにかく虫歯が多いの。今は無いんだけど、これまでの治療痕が無数に。でも、イギリスで歯医者には絶対に行きたくなくて。え?何でかって??すこぶる評判が悪いのよ、イギリスの歯医者って。仮に治療をお願いしようにも、なかなか見てもらえないことも多いみたいだし、腕も良くない・・・というのがイギリスの歯医者評なのね。だから、イギリス来てからは歯磨きだけは毎回必死だったわ。もう勝負?ってくらい。15分くらい磨いてるもの。おかげで今回は虫歯ゼロ。でも歯医者も1回では終わらなくて結局2回行ったの。レントゲン採ったりしたから。まぁ、こちらも結果良し。


それから脱毛ね。永久脱毛っていうの?レーザーで毛根を根絶するやつ。脱毛専門のエステみたいなところに数年前から通っていて、本当は2ヵ月ごとに行かなきゃ行けないんだけど、年2回しか行かなかったこともあり未だに通ってるのね。もちろん今回も11ヶ月ぶり。膝したと脇をお願いしていて、追加料金なしで何度でも通えるし、痛みが無いのがものすごく気に入ってるのね。無理な勧誘が無いし、商品を強引に買わせたりしないというのがこのチェーンの売りなわけ。

ところがよ、今回担当してくれた女の子、22,23歳くらいかしら。「腕の脱毛などはお考えですか?」って言うから、「お金があって、さらに日本に住むようになったらやりたい」と答えたのね。だってイギリスに住んでたら、いくら追加料金なしの永久保証だといわれても通えないし、そのために何万も払えないじゃない?ただでさえカツカツやのに(聞いてない?)。で、その時は一旦その話は終わったんだけど、なんとなく「何か」を感じたのよあたくし。今まで何回かそのお店に通ったけど、こういうのを感じたことは今まで無かったのね。なんていうの?「営業」??そういうのが無いから安心して通ってたんだけどね。

そしたらね、やっぱりあったの。脱毛が終わって、簡単にその日のカウンセリングとか次回の予約とかを3分くらい話をするんだけど、その時にまた言われたの。「腕の脱毛は本当によろしいですか?」って。いや、だからいらんて言うてるやん。それに彼女、私がイギリスに住んでいるということも知ってるし。「次回いつ通えるかもわからないのに、さすがに契約はできません。余裕があるときにと考えています。」というと、「でも、永久保証なので、いついらしても大丈夫ですよ?」

「おーーまーーえーーはーーっっっ!!!!!!!!」

頭、沸いとるんかーーーっ?自分で自由に使えるお金が月に10万くらいあったとしても、いつ来れるかわからない「将来のエステ」に何万円も払えません、私には。それに、そもそもあんたの店は、そういう無理な勧誘はしないというのが前提ちゃうんか?
言うても私も30ですから、ちゃんと断れるけど、私が20歳そこそこだったらなんか「いいです」って言えなかったかも、と思ってしまった。



これらの他にも、日本でしか買えない日用品などの買い物、それから地元の友達に会ったりととにかくとにかくバタバタ。あたし、よくがんばったなぁ。



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日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編
日本滞在記③ 関西遠征 前編 
日本滞在記④ 関西遠征 中編  (Tちゃん宅-清水寺-祇園祭)
日本滞在記⑤ 関西遠征 後編  (京都ドライブ)
2008.09.24 / Top↑
仕事も始まっていないし、何にもすることが無いこのごろ。いや、探せばすることはたくさんあるのだけど、結局やらず終いの私。

11時に起きたら、郵便物の配達記録が残っていた。たぶんドアをノックしたんだろうけど、2回の部屋で深~い眠りについていた私には聞こえず・・・というか目覚まし時計も聞こえない私ですが。

どうもサインが必要だったようで、24時間以内に郵便局にとりに行かなくてはならないらしい。

義父さんが、「じゃあ、今から行こう」と13時に車に乗せてくれたその道すがら。ある記述を発見。


デリバリーオフィス 月~金 7:00-11:30
             土   7:00-11:30


開いて無いじゃん。思い切り昼間なのに、13時なのに、開いて無いじゃん。
なに、この時間帯?

ええ、確かに眠っていて気づかなかったのはこの私ですけど、それにしても何なの、このやる気の無い営業時間?やる気が無い割には、朝7時からとか、わけがわからん。今仕事無いから、明日とりにいけるけど、仕事してたら無理よ?

2008.09.23 / Top↑
日曜日の朝、ルーニーはシェフィールドへ。大学の寮に入るので家具などをそろえる必要は無いけど、まぁそれなりの荷物がある。義父の車に荷物を詰め込み、ルーニーの運転でシェフィールドへ向かった。
彼と義父さんで。


私は行かなかった。


行けなかった、と言う方が正しいかもしれない。一緒にシェフィールドに行って、ルーニーに見送られてブリストルに戻ることは耐えられない。きっと私は号泣するだろう。義父さんにも迷惑がかかる。ルーニーは来てほしそうだったけれど、それに私だって一緒に行きたい気持ちはあったけれど、実際問題無理だった。

何度も話し合って、お互い納得して、しかも私の要望であるにもかかわらず、今週に入りカウントダウンが始まると不安で不安で仕方がなくなってきた。先週の日曜日に何人かの友人に会い、「来週の日曜に引っ越すんだ」と言う言葉を何度も口にするのを聞いて、急に自分の気持ちが漣だって来たのがわかった。その日の夜には漣が嵐になった。実はこんなにも自分が取り乱すとは、全く予想していなかった。そりゃ、寂しいことは寂しいだろうけど、同じ国内だし、大丈夫だと思っていた。大丈夫なわけが無かった。

泣いては冷静になりを繰り返し、前日土曜日を迎えた。冷静でいられるわけも無く、何がどうしたいのかという具体的な要望があるわけでもなく、ただルーニーが遠くへ行ってしまうことが悲しくて仕方が無かった。「寂しい」という純粋にそれだけの気持ちで、こんなにも泣けるものなのか・・・と泣きながら我ながら驚いた。

彼の門出なんだから、笑顔で見送りたい気持ちは山々なのだが、なかなかどうしてそれが一番難しい。泣きすぎて目は腫れて、それでも何とか、せめて見送るときは泣かないように必死だった。心の中で「行くなら早く出発してほしい」と思ったほど、見送りの時間が迫ってくる感覚が辛かった。


朝9時。ルーニー運転の車を見送った。もうジタバタしたって状況は変わらない。諦めがついたんだろう。それからは涙は出てこなかった。どこかで我慢はしているんだろうと思うけど、我慢ができるまでになった。


来月末、義母さんと一緒にシェフィールドに会いに行く予定。それまで、がんばろう。


車探しは、難航中・・・。
2008.09.22 / Top↑
「仕事決定…しかけてます。」「ルーニー、大学生になる。②」で報告済みのとおり、わたくしたちの


遠距離結婚生活 in ENGLAND が決定です。

ルーニーはシェフィールドへ。私は現在住んでいるブリストルに残ることになりました。


「でも、なんでおゆりはブリストルに残るわけ?」


ええ、ええ。わかっていますとも。そら、誰もが疑問に思うわけです。一緒に生活するために日本からイギリスに引っ越してきたのに、イギリス国内で別居じゃ本末転倒やないか、と。

まあね、そういわれればそれまでなんです。確かに本末転倒。しかし、これも2人で、時には日本にいる私の両親、そしてルーニーの両親や身近な人々と何ヶ月にもわたって何度も話し合った結果なんです。


ルーニーの大学進学は、私がイギリスに来る前からわかっていたことで、彼の大学進学と共に私もその街に引っ越すつもりでいました。昨年12月に彼のシェフィールド大学への進学が決まり、引越し先はシェフィールドに決定。結婚している学生のために、カップル用のアパート(大学寮)もあり、そこに入る予定でした。

しかし、常に心配していたことがあったのです。それは 仕事 。

私が去年11月から住んでいる此処ブリストルは、イギリスの中でもかなり大きな街の一つ。西南部では最大の都市です。今年の1月から仕事探しを始めましたが、4ヶ月間全く決まらず。面接さえ受けさせてもらえない状態。幸い知り合いが勤めていた会社が日本人を探しており、4月末から2ヶ月間そこで働かせてもらえることになりましたが、自力で探し出せたわけではありません。>「仕事決まりました。②」参照


はたしてシェフィールドに引越しをして、私は仕事を見つけられるのか。


この疑問が、常に私の中にありました。疑問と言うよりは心配です。よくルーニーや、家族ともこの話をしていたほど。「シェフィールドは大学の街だから国際色豊かだし、大学生のアルバイトも多いだろうしね。きっと働く先はあるから大丈夫。」・・・この言葉に、どれほど説得力が無いか(苦笑)。国際色豊かなのはブリストルも一緒。大きな大学も2つあるし、大学生のアルバイトもブリストルには多いんです。でも見つからなかった。さらには経済不安から今年初めから不景気に転じる気配は色濃くありました(9/19現在では、政府も不景気であると発表して確実なものとなりました)。さらに仕事探しが難しい状況になります。街の大きさで言っても、ブリストルの方がはるかに大きい。


ブリストルで仕事を見つけられなかったのに、どうしてシェフィールドで見つけられるのか?




4月末から2ヶ月間お世話になっていた会社は、コンピューター関連の会社でした。イギリスの会社ですが日本にも支社があり、その関係もあって「日本人」を探していました。実はこの会社、厳密にはブリストルにあるのではなく、車もしくは電車・バスで1時間ほどかかります。ちょっといなかの方で、日本人探しも大変だったそう。もしこの会社がブリストルにあったら、私がこの仕事にありつけたかどうかはかなり疑問です。私以外にも大勢、私以上に英語が堪能な日本人はいますから。・・・しかし、今回は縁あって私が働かせてもらえることになった。

「今回は2ヶ月の短期だけど、またこういう仕事があれば、短期でも長期でも声をかけてもらえるといいなぁ」と仕事を始めた当初から思っていました。仮にシェフィールドに引っ越してしまった後でも、そこで仕事が見つかるという保証はないし、むしろかなり難しいだろうし、今回のように2ヶ月の短期でも仕事をもらえるなら、そのときだけブリストルに帰って義父さん宅から通わせてもらうという方法もあるな・・・とそこまで考えていました。そのくらい、シェフィールドでの仕事探しの難しさを覚悟していたんです。


仕事を始めて1ヶ月ほど過ぎたころ、日本支社から連絡が。

「仕事内容、仕事環境はどうですか?できれば長く勤めてもらいたいのですが。」


ここから、私の気持ちが急激に動き出します。この会社で長く働かせてもらえる可能性が少し見えてきた。もちろんこれは日本支社からの要望であり、私の雇い主であるイギリスのこの会社からの誘いではありません。仮に私が「はい!喜んでっっ!!!」と答えても、イギリス側に「ん~、いらない」と言われてしまえばそこで終了。それにシェフィールドへの引越しだってあります。たくさんの決断事項が一気に押し寄せてきました。でも私が何か努力したところで自分で決められるものなど何も無く、とにかくこの時私にできたのは「いろんな可能性を考えて、状況に応じた選択肢をできるだけ広げておくこと」でした。

・ ルーニーとシェフィールドへ引越しをするのか。

・ シェフィールドで仕事が見つからなかったらどうするのか。

・ 一人で日本に帰り、イギリス-日本での別居生活をするのか。

・ 会社で働くとしたら、ブリストルに残り、ルーニーと別居生活をするか。



仕事がどうなるかわからないにしても、もしかしたら働かせてもらえるかもしれないのなら、様々な可能性について話し合っておく必要がありました。何度も何度も。正直、正解なんてありません。何を選択しても、必ずストレスはついてきます。一番最悪なのは、「シェフィールドへ行ったはいいが仕事が見つからず、精神的に不安定になること」


ブリストルで仕事が見つからなかった数ヶ月の間、本当に本当に辛かった。ホームシックに加えて仕事が見つからないことの焦り。とにかく私のメンタル面はガタガタで、何度ルーニーに当たったことか。私が一番恐れていることはこれだった。仕事が無い、働けない、自分でお金を稼ぐことができないというプレッシャーからくる、ある種のストレス。鬱の経験があるだけに、自分のメンタルには敏感。自分の精神面がガタガタになってしまえば、ルーにーにも迷惑がかかる。とにかくそれが一番怖い。

もちろん、短期で働いていた会社から「仕事はありません」といわれれば、何のためらいも無くシェフィールドに行ける。迷いが一つ減る。そこに「仕事が見つけられるか」という不安はあるけれど、ルーニーと一緒に住めるのだから、心配はあっても不満は無い。それにシェフィールドに行くことが嫌なわけでは全く無い。ただ心配なだけ。しかし「会社で働ける可能性がある」のなら、やっぱり選ばなくてはならない。ブリストルに残る決断をしたとしても、ストレスは生まれる。

ルーニーがいないことの不安。

何を選択してもストレスが生じるのなら、どのストレスが一番辛いかということも考えなくてはならない。私にとって一番のストレスは、ルーニーの重荷になること。彼の勉強の邪魔をしてしまうこと。

なんとなくの答えは見えてきた。正解でも確実なものでもなんでもないけど、こればっかりは自分たちの基準で決めるしかない。周りの人たちがなんと言ったとしても、生活をするのは自分たちだから。


そして先日、会社からの正式オファーがあったことで(まだ95%ですが・苦笑)、遠距離結婚生活が確実なものとなった。


何度も何度も話し合って、納得して決めたはずなのに、引越しまで後数日となった今になって、急に不安になり泣きたくなることもある。「今から会社の仕事を断ろうか」なんて気持ちになったりもする。ルーニーが隣にいなくなることの不安から、それまで何ヶ月も話し合い、考えてきた出来事を冷静に思い返すことができなくなり、「ルーニーと一緒にいられるならそれでいい」とそれ以外考えられなくなったりもした。そりゃ、そうだ。寂しいに決まってる。これが本音。

ここで会社の仕事を断って、一緒にシェフィールドに引っ越したって、それはそれでいいんだと思う。正解は無いから。でも、やっぱり私はブリストルで、ちょっとがんばってみようと思う。月に1回はルーニーに会いにいけるよう、そのときロンドン経由で7時間半もバスに揺られなくて良いように、自分で運転する車も探し中だ。
2008.09.19 / Top↑
ルーニー、大学生になる。①の続きです。

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私がイギリスへ正式に引っ越してきたのは2007年11月。

ルーニーは週4日、朝からカレッジへ通い、カレッジが終わるとバイトへ向かう生活を1年間続けました。好きなクラスやコースだけを受講できるパートタイムなら、もう少し時間に余裕があったと思いますが、彼の通う進学コースは見事なフルタイム。正規の学生なのです。もちろん宿題もたくさん。この1年間レポートを何本書いていたことか。何度も徹夜してレポートを仕上げていました。それと平行してアルバイトもしていたので、本当に大変だったと思います。私がイギリス入国後、すぐに仕事が決まれば彼も少しは楽だったと思いますが、そう簡単に仕事が見つかるわけも無く。しかも荷物の積み下ろしという肉体労働だったので、本当にクタクタだったと思います。本人は、「エクササイズになるし、良い気分転換だよ」と言っていましたが、勉強との両立のため、ものすごく努力していました。


2007年12月に入ると、もう出願の締め切り時期だとのこと。え、こんなにすぐなの?日本だと、推薦入試でも入学時期の3~4ヶ月前くらいですよね?一般入試なら、1月のセンター試験を皮切りに3月始めごろまで試験があって、4月に入学。ほんと、教育システムって国によって全然違いますよね。

このとき出願した大学が4つ。そのうち2つで面接、1つにレポート提出の課題が。レポート提出の大学は、「んー、なんとなく出願」だったため、結局レポートも提出せず。面接のあるうちの一つは、「実はあまり行く気がしない」とこちらもキャンセル(だったら始めから出願しなければいいのに・・・まぁ、滑り止め的なものだったんでしょう)。

結局12月始めにある大学へ面接に。12月半ばに、何の課題も無かった大学から合格通知が。面接のあった大学の合否は年末までわからないとのことだったのですが(その後良い返事はもらえず・・・)、とりあえず興味のあった大学からいい返事をもらえて一安心。実はこの大学が、ルーニーが行くことになったシェフィールド大学(University of Sheffield)です。「ルーニー、大学生になる。①」で、日本から電話をしたときに教授じきじきに質問に答えてくれた、というのも実はシェフィールド大学でした。


シェフィールドとはどこか、といいますと・・・

大きな地図で見る


イングランドの北部に位置します。イギリス全体で見ると、ちょうど真ん中あたりでしょうか。ピークディストリクト国立公園をはさんでマンチェスターの右側です。


ルーニーの入学が決定し、今年2月に行われたオープン・キャンパスに参加してきました。この日、ブリストルはそれなりに良いお天気で穏やかな気温だったのですが・・・さすが北部。シェフィールドに着いたのはその日の夕方5時ごろだったでしょうか。もちろん外は真っ暗。そしてバスから見える芝生にはうっすら雪が。気温が全然違うんです。いや、当たり前なんですけど、ブリストルの冬も私には十分すぎるほど寒かったのですが、シェフィールドはそれ以上。

翌日オープンキャンパスに参加。9月に入学予定の学生(ほとんどが高校生)とその親御さんたちがキャンパスに溢れています。実際に住んでいる大学生がシングル用の寮の部屋を見せてくれたり、学生生活の疑問に答えてくれたり。とてもフレンドリーで、大学に誇りを持っている。彼らの自信が伺えました。そして午後は学部・学科に分かれて説明会。ルーニーは日本語専攻なのですが、同じ学科でこの日参加していた人たちは30人くらいかな。もちろん高校生が多かったけれど、年齢は日本の大学に比べて幅があり、個性豊かな面々。

大学の雰囲気を見ることができ、先生たちも学生もとても明るくフレンドリー。ここならルーニーも楽しく充実した大学生活を送れるんじゃないか、と安心しました。


それでもまだ時は2008年2月。まだまだカレッジは終わりません。卒業しなくてはいけないのですから。大学から合格通知をもらっても、カレッジを卒業できないことには大学生にはなれません。結局彼の、カレッジとバイトで忙しい日々は、今年6月末まで続きました。そしてカレッジを晴れて卒業。大学生になれることが決定しました。



はい、お気づきの方もいらっしゃると思いますが・・・前回の日記「仕事決定・・・しかけてます。」で書いたとおり、私の仕事が決定しかけているのは、現在のブリストルの家から通える会社です。ニックの行く大学があるのは、シェフィールド。地図でもわかるように、ブリストルとシェフィールド、ものすごく離れてます。会社に通勤できるような距離ではありません。

そう、ルーニーが大学生になり、そして私の仕事がその会社で決定したことで、別居も決定してしまったのです。何ヶ月も前からその可能性にうすうす気づいてはいたものの、目前と迫った今、やっぱり辛いです。詳しくは次の日記で。
2008.09.19 / Top↑
前回の日記(9/18 「仕事決定…しかけてます。」)でも少し触れましたが、そうなんです。

うちのルーニーさん、大学生になるんです。


実は大学準備は、昨年から始まっておりました。
まだ私たちは日本に住んでいたころ。とにかく日本大好き。将来は絶対日本に住みたいというルーニー。特に日本語に対する興味は深く、言語に関する仕事に就きたいとおぼろげながら夢を抱き始めていました。


ルーニーが日本に住んでいたのは、正式には1年8ヶ月。2005年11月にワーキングホリデー・ビザで来日し、翌年5月に入籍。2006年10月に配偶者ビザに切り替え(実はここにもドラマがありましたが、それはまたいつか)。2007年7月にイギリスに戻りました。

大学に行きたいという意思が明確に固まったのは、おそらく2007年3月ころだったと思います。自分が勉強したい科目からいくつかの大学を選び出し、その中でも特に興味のある大学には日本から電話。このとき電話の対応がとてもよく、さらに直接教授とお話させてくれた大学がありました。

しかしさらにいろいろと調べてみると、どうも大学に行く以前にカレッジに1年間通わなくてはならないことが判明。カレッジと言うと、日本だと「短大」などに該当しますが、イギリスでは「高校」もしくは「専門学校」さらには「大学の一般教養」など様々な面を持っているようです。ルーニーは高校時代、一度カレッジは卒業しているのです。そして当時、イギリスおよびEU圏内の大学に入学するのに必要な共通テストも受け、その資格も持っていたようなのですが、このときは進学する意思がなく結局大学には行かなかったようです。もうカレッジは卒業しているのに、なぜまたカレッジ???イギリスの教育システム、なんかよくいろいろ変わるようで私も詳しくはありませんが、ルーニー曰く・・・

教育機関から卒業・中退などで3年以上離れたら場合、大学に通うには1年間カレッジで「アクセス・コース(大学進学コース)」に通わなくてはならない

そうなのです。となると、ルーニーもカレッジに通わなくてはならないわけで・・・カレッジは9月からで(イギリスは新学期が9月から始まります)、そこできちんと単位が取れてはれて大学生になれるのは、早くとも2008年9月。


2007年3月に大学へ行くという意思を固めたルーニー。3月末には、カレッジに通うために2007年夏にイギリスへ帰国することを決意。7月にイギリスに戻り、カレッジの入学試験を受け、手続き、そして9月よりフルタイムの正式な学生となりました。

このとき私はまだ日本です。この後5ヶ月間、日本-イギリスの遠距離結婚生活が続きます。というのも、私が体調を壊しておりルーニーがイギリスに帰るまでの数ヶ月間働いておらず、「先立つもの」が全く無かったため(ああ、涙)。これから数ヶ月間、バイトや派遣でほんの少し溜めて、さらに配偶者ビザを取得し、2007年11月にやっとイギリスに引っ越してきたわけです。



長くなりそうなので、ひとまず区切ります。次へ→「ルーニー大学生になる。②」
2008.09.18 / Top↑
日本からイギリスに戻って早1ヵ月。
意外に「日本滞在記」が長くなってしまい、しかもまだ終わっていないのだけど、日常の出来事もそりゃもういろんなことが溢れています。これを書かないわけには行かない!という出来事満載なので、間を縫って書いていこうと思います。


(以下の文は、他所で掲載済みのものに少し文章を付け加えてあります。)

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イギリスに戻ってからの初めの2週間半は、高校の同級生が遊びに来てくれていたので、毎日どこかへお出かけの日々。ルーニーは大学進学のための準備。私は仕事探し、家探し・・・。

この仕事探しが先週の木曜日で、すこし、ほんのすこーーーーし落ち着きました。日本帰国前に2ヶ月間短期で働いていた会社に、今度は正社員として働かせてもらえる可能性が出てきたからです。

実は、短期で働かせてもらうことが決定したときに、仕事が始まる前から「仕事続行」をなんとなく狙ってはいました。というのも、イギリスで仕事を探すのは本当に大変。英語がビジネスに使えるくらいペラペラだったり、ロンドンなど日系企業が多い場所で生活していたら話は別なのかもしれませんが、私の英語力、住んでいる場所、そして再び不景気と言われる状況に戻ったイギリスでは簡単なことではありません。今年初めから2月にかけて、ホームシックが激しかったのも、仕事探しと無関係ではありませんでした。

正直、あの辛さはもう味わいたくない。それが本音。

前回の仕事が始まり1ヶ月が過ぎたあたりから同僚たちに、私がこの職場に戻ってこれる可能性はあるかをかなり本気で聞いたりしていました。「うーん、大丈夫じゃない?会社も日本人ほしがってるし。」と可能性があるのかどうかわからない回答ばかりでしたが(苦笑い)。仕事終了間近には、上司や部長らにも話を振ってみました。仕事を教えてくれた上司は、部長に個人的にも話をしてくれたらしく、部長に話をしたときには「うん、実はすでに考えてはいるんだけど、明確な返事は今の状況ではできないんだ。君が日本にいる間には返事ができると思うから、そのときはメールをするよ」とのこと。

仕事最終日、「どう?戻って来れそう??」ある同僚とキッチンで話をしていたところ、重役登場。「うーん、まだわからないんだけど、部長がメールをくれるみたいだからとりあえず返事を待つつもり」と話した。彼が自分の職場に戻った後、その重役(会社のHPにも写真入で紹介されているようなえらい人)がどうも私たちの会話が聞こえたらしく、「仕事はどう?」と話しかけてきた。今日が最終日であること、できれば戻ってきたいなぁと思っていることを話すと、「ふーん、大丈夫じゃない?リッチ(部長の名前)と連絡が取れるようにしておけばいいと思うよ」・・・ほかの同僚とおんなじ答え!しかも重役から!!なにこの軽い感じ(いい意味で)!?


待つこと1ヵ月。日本滞在時(大阪のCくん宅)に返事をもらい、「仕事ができる可能性がある」とのことでした。


実は日本滞在中に東京にも行ったのですが、そのときにこの会社の日本支社にもお邪魔し(ランチをご馳走になりました!この話は後に「日本滞在記、東京編」で)、イギリス方面の担当者の方に、仮に会社に戻れた場合の仕事内容などを話をしたりしていました。それでも確約はありません。


そして先週、やっと部長に会ってもらえることになり、仕事の内容などの確認。まだ正式に書類にサインなどはしていないので、確定ではないのですが(そこが不安)、とりあえず90%の確立で仕事は決まりそうです。


何度もメールでプッシュし続けた部長は、どうも日本に2ヶ月ほど滞在したことがあるらしく(たぶん出張か何かだと思う)、ビジネスにおける「日本気質」も少し理解がある様子。「ビジネスの仕方で言うと、ドイツと日本は似ているね」とのこと。生真面目なところが似ているのかもね。それから、さらに「ここはイギリスだから、物事が予定よりもゆっくり流れることがあるけど、パニックを起こさないでね」とある種の釘をさされました(苦笑)。 はぁ、部長、いろいろとわかっていらっしゃる。部長はイギリス人なんですけどね。


さらに数日後、人事部長であるグレッグののお家に、日本土産(・・・と言っても、おせんべい&ポカリスウェット粉末! だってグレッグが好きだって言ってたから)を持参。ルーニーが引っ越し前にグレッグ&レイチェルに会いたがっていたのだけど、なかなか忙しい二人と連絡がつかなかったので直接お家に出向くことに。「つい20分前に出先から帰ってきたのよ!」というレイチェル。ああ、良かった。


「木曜日に会社に来たんだって?知らなかったよ。リッチ(部長)に後から聞いてさぁ」

とグレッグ。翌週にリッチを話をし、採用が決まればまた連絡するね、とのこと。

「ルーニーも引越ししちゃうし、たまに時間があるときは会社帰りに家によってご飯でも一緒に食べよう!」

ととにかく優しい、この人たち。感謝です、本当に。

そして今週、リッチからメールがあり、正式なオファーの文書を送付してくれたとのこと。まだサインをしていないので100%とはいえませんが、就職決定段階が95%くらいにはなったでしょうか。



そして、仕事が決まったことにより・・・ルーニーと別居決定です。
それはまた次回。
2008.09.18 / Top↑
これまでのお話↓
日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編
日本滞在記③ 関西遠征 前編 
日本滞在記④ 関西遠征 中編  (Tちゃん宅-清水寺-祇園祭)

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さて、いよいよ『関西滞在の後編』です。

ずっとルーニー&おゆり夫婦をお家の泊めてくれたCくんが、この日は有給を取ってくれ、再び京都へドライブです。京都を愛するCくん。連日の京都です。

今回はCくん運転で、嵐山高雄パークウェイを通り、京都市内へ。
「田んぼと軽自動車と小学生」という、なんとも日本的な光景。いい!
田んぼと軽


嵐山高雄パークウェイ。途中で一休み。絶景です!!!
嵐山パークウェイ

こうしてみると、京都市内って見事に山に囲まれ、盆地であることが良くわかります。
これぞ夏!!!というようなモクモクとした入道雲。イギリスではお目にかかれませんでした。「本当にイギリスって夏だったのかしら・・・」と疑問がわいてくるほど。一口に“夏”といっても、いろいろなのね・・・。


京都市内に入りまずは、学生時代に良く通った『山猫軒』というカフェで一休み。ここ、いつ行っても素敵です。私のお気に入りNO.1です。結婚前にルーニーをつれてきたこともあります。あ、そういえばそのときも当時四条烏丸にあったCくん宅に泊まらせて貰ったなぁ。(毎度毎度、ありがとうございます>Cくん)


その後、これまた学生時代に何度か通った『キッチン・パパ』へ。京都に来るたびに足を運んでます。定食屋さんなのですが、ものすごくおいしいのです。お米屋さんが経営しており、ご飯・お味噌汁のお代わり自由。Cくんも学生時代常連で、実はCくんとの共通の友人に教えてもらったのがきっかけです。


さらに千本出水にある『はちはちインフィニティカフェ』へ。実はおゆり、ものすごくカフェ好きで、それを知っているCくんが調べておいてくれたのがここ。わかりにくいところらしく、前にCくんが『キッチンパパ』に来たときに見つけてみようとし、結局探し出せなかったと言うお店。(Cくん、本当にわざわざありがとう。)この日は見つけましたよ!!! 
アイスコーヒー、おいしかったです。手作りパンも販売していて(そっちがメインかも)、C君が購入したものをご相伴に預かったのだけど、独特の深みが合っておいしい。え?ここがカフェなの?と言うような一軒家です。ただ、玄関に「営業中」と掲げられていたけれど、何度大声で「ごめんください」と言っても返事は無く。玄関は開いているし、とりあえず入ってみようと言うことに。家に入ってからも大きな声で「すみません」「ごめんください」と言っても返事なし。数分たって奥から人が出てきたとき「え?何でいるの?」という迷惑顔をされたのは、ちょっといただけなかったなぁ。その後に来たお客さんも、何度もお店の前で叫んでいたけど、全然お店の人は出てこなかったし。「お客さんですよ」と私たちが呼んでも聞こえないみたい・・・それってどうなんだろう。


京都ぶらぶらドライブから再びCくん宅へ。この日の夜は、Cくん特製お好み焼き。

力くんお好み焼き

食べかけでごめんなさい。

いやそれにしても、おいしすぎる!!!
3人で何枚のお好み焼きを食べたか!キャベツ一玉分、完全消費です。外はカリカリで中はふわふわ。豚肉を使っているけど、ものすごくあっさり。今まで食べたお好み焼きの中で一番おいしかった。また食べたいです。


丸々1週間、Cくん宅でお世話になりました。本当にありがとう。いつか恩返しさせて頂戴!・・・当分先のことになると思うけど。

そして翌日、愛知県へ帰りました。





2008.09.14 / Top↑

このところ違法行為に関する悪質で迷惑な書き込みが目だって多くなってきており、その対策としてコメントは承認後にブログに反映させていただくことにしました。

非常に残念ですが、書き込みのブロックにも限界があり、この方法をとらせていただきます。

今まで書き込みをしてくださった皆様、これまではコメントをいただいた後すぐにブログ上に表記されましたが、表示までに少しお時間をいただくことになると思いますが、これからもよろしくお願いいたします。


おゆり
2008.09.14 / Top↑
日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編
日本滞在記③ 関西遠征 前編 

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Nちゃん&Sくんのマンションにお邪魔した翌日、Nちゃんとともに京都へ。大学で同じクラスだったTちゃんのお宅訪問です。現在2児の母であるTちゃん。なかなか2人をつれて外出は難しいので、私たちがお邪魔することに。お昼を用意してくれていました。

・しゃけとシソのまぜごはん
・おからのサラダ
・油揚げと水菜の煮浸し
・他いろいろ

なんて日本らしくて、さらに京都らしい献立!!!
抜群のチョイスです、Tちゃん。そしてすべておいしい。大学時代からしっかり者だったけど、主婦そして2児の母になった今もしっかり者は健在。弟子入りさせてよ、Tちゃん。本気でお願いしそうになりました。

今回どこに行っても「赤ちゃん」が。まあね、そういう年頃なのよね、私たちも。本当にどこに行っても赤ちゃんがいるの。そしてルーニー人気は赤ちゃんにまで!

Tちゃん宅で3歳のあやちゃん、9ヶ月のゆうちゃんと遊んでいたルーニー。あやちゃんとおもちゃで遊んでいたところ、9ヶ月のゆうちゃんが「何事っ?」と驚くような声で激しく泣き出した。Tちゃんも、「ゆうちゃん、どうしたの?」と突然のことにわけがわからず。私もNちゃんも、「どうしたんやろう・・・」と首をかしげていたところ・・・原因発覚。なんと、号泣の原因は「嫉妬」!

あやちゃんとルーニーがあまりにも楽しそうに遊んでいたことが原因。その証拠に、Tちゃんがあやしても泣き止まなかったゆうちゃんが、ルーニーに「どうしたの?」と話しかけられるとパーッっと表情が明るくなり、遊び始めた。こういう感情って、年齢ではないのよね、きっと。


帰りに以前Nちゃんとよく一緒に行ったコチカフェでお茶をし、

コチカフェ

Nちゃんと阪急で途中まで一緒に帰り、そしてお別れ。私たちは再びC君宅へ。



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関西に滞在した1週間で訪れた観光地は、1箇所のみ。

それは清水寺
清水1



私は高校生のときに観光で、また大学時代に何度か(京都に住んでいたので)来たことがあるのですが、ルーニーにとってははじめての清水寺。これはルーニーたっての希望。というのも、2006年の秋に日本で結婚式を挙げたとき、来日したルーニー父、デイヴィッドが結婚祝いにルーニーに買ってくれたのが徳利とお猪口のセット。京都を観光したときに、京都タワーのお土産やさんで購入したようなのですが、この徳利に描かれていたのが清水寺だったのです。

お世話になっているC君宅でゴロゴロしていて家を出たのが遅かったので、ここについたのは確か夕方4時ごろ。さすがに道中は空いていましたが、この時間でも清水寺には意外に大勢の観光客がいました。驚くことに、そこにいた観光客のほとんどが外国人。大げさではなくて9割ほどは外国人観光客でした。日本への外国人観光客は増えているとは聞いていたけど、実感するほどとは。そういえば東京に住む弟も言っていた。ここ2年くらいの間に、新宿や渋谷で目にする外国人の数が急激に多くなったと。興味を持って日本に来てくれるのは嬉しいことです。


ルーニーご満悦♪

その後、仕事終わりにC君も京都まで出てきてくれるとのことだったので、清水寺から京都市内へ。ちょうど祇園祭の宵山の時期だったので、久しぶりに行ってみようと言うことに。「わかりやすいところで待ち合わせしよう」と言われたので、とりあえず三条大橋のスタバヘ移動。
三条大橋

鴨川沿いにはカップルやのんびりと過ごす人々。川床も設置されています。
もう少し遅い時間になると、この川沿いに“等間隔”にカップルが座っているのよね。
三条2

スタバでは、コーヒーゼリー・フラペチーノと堪能。はぁ、うまい。イギリスのスタバでも発売しないかしら。これと抹茶フラペチーノを発売してくれたら、ものすごくうれしいのに。
コーヒーゼリーって、イギリスには存在しないものなんです。なんかちょっと驚きでした。これって日本のものなのかな。


その後C君と合流し、いざ祇園祭へ。
とにかく人・人・人・・・
祇園祭

Cくん宅に帰った後ニュースを見てみると、その日は40万人の人手だったそう。

清水寺に祇園祭。C君と焼き鳥片手にビールを飲みながら歩いた京都の街。両方ともルーニーにとっては初めてで、心のそこから楽しんだようでした。



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日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編
日本滞在記③ 関西遠征 前編 
2008.09.14 / Top↑
時差ぼけでボーーーッとしながらも、イギリスに持って帰るものの買出しや地元にいる同級生と会ったり、けっこう飛ばしていました。さらに時差ぼけを引きずりながら、関西遠征。

実はわたくし、生まれも育ちも愛知県ですが、大学時代は京都に住んでいました。全国各地から学生が集まっていたので、友達は日本全国、世界中に散らばっています。地域的にはやはり関西に住んでいる友達が多く、今回は大阪に住む友達のマンションを拠点にさせてもらい、1週間あちこちに足を運びました。

初日は会社帰りの友達と、大阪は阪急茨木市駅で待ち合わせ。時差ぼけ夫婦は夕方の待ち合わせに合わせて、名鉄バス→JR東海道線→近鉄アーバンライナー→大阪市営地下鉄→阪急線を乗りついで目的地に向かいます。ここで何が感動するかって、ちゃんと調べたとおりの時間に駅に到着できること! 全5路線のバス・電車を乗り継いで、片道約3時間半の行程。出発前にYahoo!で目的地に到着したい時間を入力し、逆算的にどの時間に電車に乗るかを確認していくのだけど、本当に分刻みの時刻表が完成。そしてそのとおりに、きちんと目的地についてしまう。

これがイギリスだったら・・・(→「電車が来ません」参照)

あーーー、ぜったい無理!!!

時間通りに、事前の計画通りにことが進行する。これって本当にすごいことです。このために多くの人たちが一生懸命働いてくれているのよね。それこそ必死で。イギリスなんか、遅れるどころか電車来なかったりするし。ま、イギリスに限ったことじゃないだろうけど。


時間通りに友達と再会でき、友達Yくんのおごりで(!!!)、ルーニー希望の焼肉へ。Yくん、本当にありがとう。


そして翌日は、大阪梅田で別の友達2人と待ち合わせ。その足でうつぼ公園へ。
うつぼ公園

何これ・・・。
うつぼ公園のある場所に、マネキン?銅像?が多数。これ、夜見たら絶対怖い。大阪ってやっぱり不思議。
このうつぼ公園にあるカンテ・グランテでお茶。カンテといえば、チャイ!もちろんいただきましたとも。中津本店や難波の地下にあるカンテには行った事があるのだけど、うつぼ公園店は初めて。やっぱりおいしいチャイ。でも中津本店が一番好きです。

その後梅田まで移動。何を思ったのか4人で歩く。梅田まで歩く!この日、結構暑かったです。32~33度はあったはず。途中淀屋橋あたり(だったと思う)に噴霧器?霧をまくことで体感温度を下げようとする試みがあったのだけど、温度が温度だけに、さらにはあんまり霧が当たらないので全然涼しさを感じませんでした。
大阪

でも、夏も寒いイギリスでは「暑さ対策」なんて全然なくて、こういう苦労もイギリスに住んでるイギリス人にはわかんないんだろうなぁ。あ、ちなみにルーニーは日本の夏経験者なので、どれほど「暑さ対策」が日本では必要かは重々承知です。


別の日、6年ぶりにある友人に会うため神戸まで移動。さらにその後、甲子園球場駅まで移動。この日はYくん宅ではなく、大学のゼミで一緒だったNちゃん宅へ宿泊。
オマリー

オマリーがお出迎え!この日は阪神の試合があり、人も多い。何を隠そう私、愛知県生まれ&育ちですが、生粋の阪神ファン!!!でも実は、甲子園で阪神のゲームは見たことがありません。高校野球はありますけど。今回も泣く泣くあきらめ、甲子園まで迎えに来てくれたNちゃん&旦那Sくんの車に。彼らのマンションは甲子園球場から徒歩15分。なんともうらやましいところです。球状近くといっても、閑静な住宅街。とっても静か。

この日はSくんの仕事が終わるのを待って、お好み焼き→温泉!!!(ごちになりました。ありがとうございます。)お好み焼きは時差ぼけ夫婦の希望、そして温泉はNちゃん&Sくんが「日本的なものを」を考えてくれたもの。もう、温泉をどれほど欲していたか・・・。さらに岩盤浴まで予約してくれて、おゆりは感激ですっ!イギリスにも温泉&岩盤浴、欲しいっ!!!Roman Bathのある国なのに、なんで銭湯文化が無いのかしら・・・。


結構書くことあるわね。じゃ、ここでひとまず終了。関西編、つづく!



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日本滞在記① イギリス-日本 フライト編
日本滞在記② 時差ぼけ編


2008.09.05 / Top↑
長いフライトの後、名古屋はセントレア(中部国際空港のことを、地元ではこう呼びます)に到着。私の父親が空港まで迎えに来てくれました。

ババシャツ&トレーナーが欠かせなかったイギリスから、梅雨後半の名古屋へ。確か出発前日の夜10時ごろのブリストルの気温は、13度でした。そこから気温28度の名古屋へ到着したのだから、暑さに慣れるのが大変。それでもこの日は雨が降っていて、いつもよりかなり涼しかった様子。

機内でほとんど眠れなかったルーニー&おゆり、もうクタクタ。お父さんに付き合い、帰り道にコメダコーヒー(名古屋発祥の喫茶店チェーンです)に立ち寄るものの、もうフラフラ。昼過ぎにはお昼寝。


前日の朝6時(イギリス時間)にブリストルの自宅を出て、翌日の朝9時(日本時間)に日本に到着した私たち。もう体内時計が狂いまくり。結局4日間ほど完全な時差ぼけに悩まされました。


ぼの

会いたくて会いたくて仕方の無かった実家のビーグル犬にも再会!!!


日本滞在記①
2008.09.05 / Top↑
友人が日本へ帰国し、私の中での「日本デイズ」が終焉。今更ですが覚書程度に、イギリス引越し後初の日本帰国をはじめとした「日本デイズ」を記録しておこうと思います。(要は暇なんです。)


今回の日本帰国は、フィンランド航空を使用。なのでヘルシンキ経由でした。ただの乗り換えとはいえ、初の北欧。ちょっとでもその空気を味わおう、と乗り換えの1時間半で撮った写真。
helsinki1

とにかく大地が平ら。同じ高さに生えそろった木々の緑が、上空から見渡せます。当たり前なのだけど、イギリスとも日本とも異なる風景。空港内は、インテリア?に木をふんだんに使っていたのが印象的でした。

icecream in helsinki

↑ルーニーが待ち時間に食べていたアイスクリームのクッキーサンド。
そうそう、この空港で弟へのお土産のタバコ(なんだかなぁ…)を購入したのですが、支払いはイギリスのポンド。でもおつりはユーロ!ルーニー&おゆりにとって初のユーロでした。レジの女性に、「このユーロでコーヒーでも飲んで行ったら?」と言われ、カフェで一休みすることに。そのときにルーニーが食べたのが上の写真。私は特におなかもすいていなかったので、飛行機の中で食べようとヨーグルトを購入。(写真下)

yorgurthelsinki

これ、結局機内では食べず、日本に帰った後ふと思い出して実家で食べました。どうも普通のヨーグルトではなく、大豆から作られたベジタリアン用のものだったみたい。ほんのり豆乳風味でした。


***ここから9月5日追加***

ロンドン-ヘルシンキ間は、2.5時間。意外な近さに驚きでした。横の列が計6シートの小さな飛行機でした。再び機内に乗り込み、名古屋へ向けて出発。ここから一気に日本人率が上がります。何せ、東京行きでも大阪行きでもなく名古屋行きなのですから!!!ツアーが2~3組入っていたようです。近くの席の人に聞いたら、フィンランドではなくウィーン(オーストリア)、フランス旅行だったそう。航空会社がフィンランド航空だったということなのですな。

さすが日本行きの機内。食事にそばがついていました。もうこれだけで、うれしくて仕方の無かった私。だって、ブリストルではお目にかかれないものですから!
そば

そばの上に乗っているねぎのぶつ切り加減、わかりますか!?いいんです、それでもおいしくいただきました。さすがに日本から帰ってくるときにも機内食にそばがついていたのですが、ねぎは美しい小口切りでした。


別の食事のときに出されたジュース。フィンランドのものなのですが、見てください、このジュース色!!!血と見まがうほど、真っ赤っかなんです!
機内ジュース

パッケージのイラストでは、りんご・いちご・にんじんなどがかかれているので、野菜と果物のミックスジュースなんでしょう。ものすごく濃くて、ジュースというよりピューレ上でドロドロ。でも味はおいしかったです。

ほかにも、日本にもイギリスにも無いフィンランド(北欧?)独特の酸味のあるパンや、何かの記事で読んだことのある名物だというミートボールなど。外国の航空会社を使っただけなのだけど、ちょっとした異文化体験でした。


そして9時間後、やっと日本(名古屋)に到着したのです。
2008.09.04 / Top↑
日本からブリストルに戻って2週間半。実は今回、高校時代の同級生が遊びに来てくれていて、今朝日本への帰路に着いたところです。

ヒースロー発、ヘルシンキ(フィンランド)経由名古屋行きの飛行機は、朝10時20分発。国際線なのでその2時間前には空港で受付を済ませねばならず。朝5時に起き・・・というか旦那ルーニーに起こしてもらい(ええ、鬼嫁です)、5時50分には車で出発。途中トイレ休憩やガソリンスタンドでの給油もし、8時15分にヒースロー空港到着。

フィンランド航空を利用なのですが、ブリティッシュ・エアウェイズとの共同運航のようで、そのカウンターへ。手続きをしてくれたのは、中年のイタリア人のおじ様。

おじ様:「ええっと、ヘルシンキ経由で東京だね?」

おゆり:「いえ、名古屋です。」

おじ様:「(チケットを確認して)ああ、そうそう。そのとおり。ちょっと君を試しただけだよ。」


友人のトランクの重さ、23.5キロ・・・(本来は20キロまで)

おじ様:「(うーーん、微妙・・・というような表情)ま、いいか。」

おゆり:「(おじ様!!!心の中で感激☆) ありがとうございます。」

おじ様:「彼女(友人)は二人もボディーガードを連れてきたんだね(おゆり&ルーニー)。ではいいフライトをね。(ウィンク)」




おじさま、おゆりは感激でございました!これ、担当した人によってはアウトだったんじゃないかと。あたくしたち、おじ様がチェックインの担当でよかったわ♥ 友人Tは、ものすごく巨大なスーツケースではあったけど、イギリスに来たときに入っていたのは洋服とお土産くらい。もともとそんなに荷物は無くて、今回の帰国時は滞在中の買い物やイギリス土産が増えた程度。・・・といっても、私の義理父デイブから

ベイリーズ1本  >>ベイリーズとは?過去記事参照→
baileys2

おゆり&ルーニーから、イギリスではとても一般的なりんごのお酒、サイダーを1本。(←日本で言うシードルかな)

ガラス瓶入りのお酒が2本も入れば重くもなりますがな。


2週間半、ずっと友人と一緒にいたので、ヒースローまで来ても彼女が飛行機に乗って帰ってしまうというのが信じられず、いまいちピンと来なかった私。それでも出発ゲートへ入っていく彼女の後姿を見送った後、とっても寂しくなった。

この寂しさを引きずりたくないなぁ、とすこし心配になったのだけど・・・なにせ5時起き。眠気が勝り、車中熟睡。気づけばブリストル!寂しさに浸っている場合でもなく、またバタバタとしたブリストルでの日常が始まります。
2008.09.04 / Top↑
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