ブリストルからロンドン近郊へ引っ越しました。

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3月11日。

まだ朝7時半だった。
金曜日の朝。
元同僚のフランス人、マギーからの携帯テキストで目が覚めた。


「おゆりの家族はどこに住んでるの?」


その一行だけのテキストだった。
でもそれだけですぐに、「日本で地震があったんだ」とわかった。

いつもならベッドから起き上がるのに30分以上もウダウダしているのに、すぐに飛び出して1階のテレビのある部屋に走った。テレビを点けて映された光景は、それが日本だなんて到底思えるものではなかった。ものすごい地震が起こったこと、そしてこの濁流は津波であることは頭では理解できた。でも、気持ちというか、そういうものが付いてこない。それが現実の光景であるとは信じられなくて、よくある表現だけど「SF映画を観ているんじゃないか」と思ったし、そう信じこみたかった。

とにかく、職場に行くことにした。幸い私はIT関係の職場なので、常にインターネットを閲覧できる職場環境だ。まずは出社をし、そこで情報収集しようと思い、いつもどおりに会社へ向かった。

出社した同僚たちは、特に何も言ってこなかった。地震が起こったのが、イギリス時間で朝早かったので、地震のニュースは耳にしても、あの津波の映像は見ていない人が多いようだった。あるイギリス人同僚は、「日本で地震があったみたいだけど、ニュージーランドの地震がこの間あったばかりだし怖いよね~」と笑顔だった。それは悪意は全く無く、ただ日常の会話の中のひとつのような。その時に、「仮にあの映像を見たとしても、この人達には実感としてこの災害の大きさはわからないんだろう」と直感に近いものを感じた。もちろんそういう人ばかりではないのだけど、遠い異国の話…と考える人も多くいるんだ、そのことは覚えて置かなければならない、とその時に頭に叩き込んだ。


ニコニコ動画やUstreamなどでNHKやフジテレビの放送をしていた。Twitterと常ににらめっこし、こちらの情報伝達の早さに驚いた。そして日本・イギリスハーフの同僚にチャットで話しかけた。まだ朝9時半頃だったと思う。「今日は仕事ができそうにないや」と話すと、「自分の国がこんなことになっているんだから、仕事に集中できる方がおかしいよ」と確かにそのとおりなことを言われて、妙に納得した。こんな時でも仕事に集中しなければ、とどこかで思っていたから。

自分の国の危機。でも私はイギリスに居る。動揺は日本にいる人達の比ではないだろう…と思っていたけど、私の動揺は明らかだったようで、同僚たちに「大丈夫か?」と声をかけられた。

その日はヨガクラスにいくきになんかなれず、帰宅時の車の中でもBBCラジオを流し続けた。家についたのは6時半頃だったと思う。すぐにBBC1にチャンネルを合わせた。ちょうど地方ニュースの時間だった。ブリストルが位置するイギリス南西部で、すでに日本向けの支援物資の準備が始められ発送手続きを行なっているというニュースだった。レスキューチームもいつでも出発ができるよう、準備が整えられていると言っていた。震災から12時間後。異国で日本のための準備が着々となされていたことに、感動した。そして、日本政府が一刻も早く海外の救援部隊に出動要請を発令することを祈った。



週末は毎日20時間以上をパソコンの前で過ごした。今出来ることは募金しかなく、そのためにイギリスの赤十字のサイトにアクセスしたが、日本の震災のための募金アピールは無く、ガッカリしたのと同時にイラついた。オーストラリアに住む友人がオーストラリアの赤十字から募金ができたというのを聞いて、その時はそちらから募金をした。イギリスの赤十字のサイトに日本向け募金のアピールが掲載されたのは、イギリス時間で日曜の夕方だった。金曜の朝に感じた、うまく説明できない「温度差」が、ここに来て「やっぱり」という気持ちに変わった。


福島原発の問題も浮上し、もう何が何だかわからなくなってきた。職場では、親身になって心配してくれる人、何にも知らないくせに「地震のある国に原発を作ることが間違っている」と批判する人、できるだけ震災のことについては触れないようにする人、様々だった。

「災害が起こった地域は危険だから、そこに建物を建てるべきではない」とあたかもすべてを知っているように物知り顔に私に言ったフランス人に対し、一緒に食事をしていたアジア系の同僚たちが一気に反発した。インド、中国、フィリピン。みんな、自然災害の恐ろしさを知っている国から来た人たちだ。「国や街、地域を建てなおさずに、人はどうして生きて行けると言うんだ?」。怒りで震える私の気持ちを代弁し、その同僚にぶつけてくれた。そう、地震や台風、火山などという大きな自然災害のないヨーロッパの特に先進国に住む人には、この気持を理解しろという方が難しいだろう。でも、被災地域に建物を建てないということは、復興できないということ。人々の生活は、「ここは危険だから別の場所に引っ越そう」と簡単に移動できるものじゃない。自分の考えを言葉にするのは彼の自由。彼には自分の意見を述べる権利がある。でも彼は、その自分の言葉に責任を持たなければいけないということを分かっていなかったようだ。怒りで震えるという経験、人生の中で何度あるだろう。よっぽど彼をひっぱたいてやろうかと思った。食事中だった私は手にフォークを持っていた。それを見たマイケルに「(そのフォークで)彼を刺すなよ」と冗談交じりに言われた。彼を残して、皆キッチンをあとにした。


仕事の休憩中、マイケルに言われたこと。

「フィリピンが地震や災害で大変なとき、日本はいつも助けてくれた。日本はいつも僕達を救ってくれる側だった。だから今、僕達が日本を助ける側に回っているというこの状況が、なんだか不思議で仕方がない。」

手元にあった新聞をめくっていると、『Save the Children』というチャリティー団体の募金のアピールが載っていた。“Save the Children in Japan”(日本の子供たちを救え)。いつもはアジアやアフリカの発展途上国の子供のための募金アピールだった。それなのに、その広告に「日本」の文字がある。なんだかものすごくショックだった。日本はいつも強くて、助ける側だったのに。


つい先日、イギリスから日本に派遣されたレスキュー隊のドキュメンタリーが放送されていた。数人は数週間前にニュージーランドでのレスキュー活動から帰ってきたばかりだった。このレスキューチームは様々なバックグラウンドを持った人々で構成され、職業も経歴もバラバラ。ハイチに派遣された人たちもいる。その人達が口をそろえて「惨状に言葉を失った。」と言っていた。そして、そのドキュメンタリーには、隊員一人ひとりに頭を深々と下げてお礼を言う日本人夫婦の姿や、一人ひとりの手を握って御礼の言葉を伝える女性、手を振って感謝の意を伝える若者の姿。

隊員のひとりが言っていた。

ある日本人女性が近づいてきて何かを伝えようとしているけど、お互いに言葉がわからなかった。そこで女性は紙に矢印を書き、彼らをある場所へ連れていった。どうやら知り合いが住んでいたアパートで、その友人を助けだして欲しいとのことであるようだった。2時間捜索したが、その友人を見つけることはできなかった。その間その女性は涙ぐむでもなく、ただ無言で、表情を変えること無く我々の活動をじっと見ていた。その姿に、この現実を痛感したした。そして2時間後、どうしても見つけることができなかったと英語で告げると、彼女はひとりひとりの手を握って、日本語で「どうもありがとう」と丁寧に伝えた。日本の惨状は、想像を超えた凄まじい物だった。だが、僕たちはこの惨状ではなく、人々の礼儀正しさを今後一生忘れることはないだろう。


天皇陛下、皇后陛下が自主的に停電をしているとのニュースを読んだ。自分たちのために作っている野菜を被災地に届け、御用邸の風呂を使ってもらえるためにバスも運行しているという。イギリスでこのような惨事が起こったとき、イギリスのロイヤル・ファミリーはここまで出来るだろうか?いや、イギリスに限らず他の国でこんなことが起こり得るだろうか。


異国で生活をし始めて、日々感じるようになったのは「日本」という国の強さだった。それは経済的な意味合いが強かった。今私がこの国で働くことができるのも、日本という国の経済力があり、私の会社のビジネスの上で日本はものすごく大きなマーケットを持っているからだ。だから、会社は日本人を必要としていた。そして私はそこでお世話になることになった。

日本は発言力がない。つねづね言われてきた。もっと国際社会でリーダーシップを取らなければいけない。でもイギリスに暮らし始めて、その考え方に疑問を感じるようになった。国の数だけ国民性がある。日本は強い発言力はないかもしれない。でも協調性は誰よりもある。それでいいんじゃないか、と。日本で住んでいるときには、日本の国の世界からの注目度はよくわからなかった。隣国からの苦情を真に受けて、いつも反省ばかりだった。反省が悪いわけではないけど、自分たちの良さが見えにくくなっていたんじゃないかと思う。それが異国に住むようになり、自分たちが思っている以上に日本の世界での関心度は高く、常に注目されている国なんだと実感した。

そして震災が起こった。

皮肉だけど、このことがきっかけに、日本がいかに愛されているかが日本にいる人にも伝わったんじゃないかと思う。


イギリスに居る私が、日本人としてできること。それはすごく限られたことかもしれない。でもその限られた何か、ほんの些細なことでも行動に移してみようと思う。とりとめのない文章になってしまったけど、これが震災後1ヶ月で私の中で起こったこと。

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2011.04.12 / Top↑
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